朝日新聞 掲載記事

『五輪選考、質高め挑む バタフライ・河本耕平選手』
コーチの話を聞く河本。練習にボクシングやサッカーも採り入れる独創性も=長岡市長倉町


静かだが着実に前へ進むフォーム=長岡市長倉町


 「今、本当の充実を味わっています」。100メートルバタフライの日本記録保持者、柏崎市出身の河本耕平(32)=日産サティオ新潟西=はそう言い切る。ロンドン五輪の選考会まであと5カ月。30歳を超えて巡ってきた五輪出場のチャンスに、気負いはない。

 ■32歳「積み重ね、今は自信」

 朝は早い。毎日午前8時ごろから、長岡市内のプールで2時間ほど練習。1日平均で10キロメートルを泳ぐ。20代前半の距離から5キロメートル減った。

 「昔は速くなるためには距離を泳ぐことが大事と思っていた。今は質を高めることに集中している」

 体を激しく上下動させ、両手で豪快に水をかく、よく見るバタフライのフォームとは少し違う。両手が上がるのは水面のわずか上で体のうねりも少ない。静かに前へ進むことを意識するのが今の河本の泳ぎだ。

 中越高(長岡市)から進んだ中央大では、ユニバーシアードで50メートルを、日本学生選手権では200メートルをそれぞれ制した。当時は体力と筋力に頼った泳ぎだった。

 転機は、2004年のアテネ五輪の選考会に敗れた後。「このままでは伸びしろを感じられない。年を重ねても、この泳ぎを同じように続けられるだろうか」。体を一度沈ませ、浮き上がる力を使って前に進む泳ぎはロスが多い。変化を求めていた。

 その思いが決定的になったのは、水泳大国で学ぼうと米国に練習拠点を移していた07年。当時世界トップのイアン・クロッカー(米)と話し、〈大会で勝つことが目標ではなく、いつでも誰にも負けないハングリー精神が大事〉という考えに触れた。

 そこで気付いた。「対戦相手との勝負がすべてでは大会で勝った時点で燃え尽きてしまう」。泳ぎそのものを追求すれば、進歩し続けられる。自分なりのフォームを模索することに迷いがなくなった。

 北京五輪選考会を翌年に控えたその年、所属先との契約が切れたので、経済的支援を求め、ネクタイを締めて10社ほどを訪問した。A4大の紙で約10枚、経歴や目標をしたためての自己PR。「これは大きかった。気持ちを言葉にすることで、自分の考えを確認、整理して水泳に取り組む覚悟ができた」

 翌08年から巻き返しが始まった。北京五輪選考会は思うようにいかなかったが、6月のジャパンオープンでは100メートルで日本新記録(当時)で優勝。09年に地元・新潟であった国体ではライバルに塗り替えられた日本記録を改めて更新した。国体は現在、4連覇中だ。

 泳ぎの質を求め続け、気力、体力ともに今が一番充実している。3年前は出場すら思いもよらなかった来年のロンドン五輪は「巡り合わせ」ではないか、とさえ感じられる。

 これまで出場権を得られなかったのは「どこか自分を信じ切っていなかった」からだ。今は違う。「ゆっくりだが、自分を見つめながら、ここまで来た。積み重ねたものに今は自信をもてます」

 五輪選考会を兼ねた日本選手権は来年4月、東京で開かれる。(有田憲一)

http://www.asahi.com/sports/spo/TKY201111080164.html